オリンピックはオリンピック。パラリンピックはパラリンピック。
こんにちは〜
今日の晩ごはん何にしようかぼーーっと考えてるけいです。
今日は最近話題の”オリンピック”と”パラリンピック”のお話です。
最近、パラリンピックに出場する選手のレベルがどんどん上がっていて、近いうちにオリンピック選手の記録を超えてしまいそうな勢いです。すげっす:)
それに伴って少し前から、「人工装置をつけた障害者もオリンピックに出られるようにすべきか、否か。」っていう議論もされてますよね〜
でも、ぼくの考えとしてはタイトルの通りで、「オリンピックはオリンピック(健常者は健常者どうし)。パラリンピックはパラリンピック(障害者は障害者どうし)。」であるべきやと思います。
(こやって、いろんなところで起こる議論に便乗して、自分で考えて自分の意見をもっておけば、その後議論が進んで状況が変わっていく様を楽しむことができるので、あなたもやってみて、どうぞ:)笑)
もう”補助ツール”のレベルではなくなってきてる。
パラリンピックに出場する選手は当然、障害者なので体の働きを補うための”道具”を装着して競技に挑んでいます。
彼ら/彼女らがオリンピックに出場するのを妨げているのは、最近になって優秀になりすぎたその道具です。
もうパラリンピックで障害者が出した記録が、オリンピックで健常者が出した記録に迫ってきてます。
もちろんこれは選手の血の滲むような努力が産み出した結果ではあるんですが、やっぱりそれだけとは言えないんですよね〜
どんどん進歩する道具は、生身の人間では到底生み出せないようなパワーを生み出すことができるようになってきています。
”補助”という域をはるかに超えて、ある意味”ドーピング”と同じような働きをするほどになってるわけですな。
実際、”道具ドーピング”なんて言葉もあるようで。
もちろん、高性能な道具を装着すれば誰もがパラリンピックのトップ選手のように、健常者に迫るような記録を出せるわけじゃありません。
そのすばらしい性能をもった道具を自分の体のように操れるようになるには、ものごっつい努力が必要やと思います。
でもね。。
人間の身体能力と道具。機械。
そういった道具は間違いなく、人間の身体能力が向上するより何倍も早く進化していきます。
そうなると、もう人間に力ではどうにもできないような記録が道具のサポートによって叩き出されちゃったりするわけです。
そんなのもうすぐです。
例えば、パラの走り幅跳びのトップ選手は、ほぼ全員が「義足」で踏み切って飛んでます。
これは、人間の足で飛ぶよりも義足で飛んだ方がバネによってよく跳べるからです。
細かく見れば、もうすでに人間の体を超える道具に頼ることができちゃうんですね〜
これからさらに進化が進んで、もう道具というより”機械”と呼ばないといけないようなものまで出てくるかもしれません。というか、出てきそうですよね。笑
それによって障害者が、生身の人間では出せないようなパワーを手にすることができるようになり、どんどん健常者に勝つようになっていったら。
うーん。どーなるかな。
今までとは逆に、健常者は障害者に勝つことを目標にして、お互い切磋琢磨して競技レベルが上がる。
って風にいけばいいけど、もしかしたら「機械の力を借りたい」と思う健常者選手もでてきそうじゃないですか?
「自分で足を切り落として機械の力を使ってでも勝ちたい」
そう思う選手が出てくるかもしれません。
これはさすがに問題です。選手自身にとどまる話ではなくなってきます。
でも、実際にそういうことが起こるのが不思議じゃないくらいには、道具は進化していくでしょーね。
だからやっぱり、健常者と障害者は同じく戦うことはできないんです。
当然”平等”とは言えないし、”公正”でもなくなってしまいますから。
余談。。
2008年に水泳界を震撼させた、「レーザー・レーサー」ってあったじゃないですか。
あれは2010年に、大会での着用は禁止されましたよね。
もし道具が進化して、もうさすがに”人間の力”とは言えないんじゃね?っていうくらいの機械を使い始めたら、パラでも同じように道具の性能に規制がかけられたりするんかな〜
2020年の「東京」では、また進展した新たな議論がされてるかもですね:)
おしまい。