けいが文章を書く場所

Webライターが、ガジェット(主にWi-Fi・SIM)や男の身だしなみについて書くブログ。

けいが文章を書く場所

なんで学校に通う?大学生がちょっとマジメに考えたゾ:)

 

こんにちは〜

岡山の山奥から解放され、大阪に戻ってきたけいです。

 

 

でもまた明日から宮崎のおばーちゃんの家に行きます:)

のんびりとブログ書いたりなんやかんやするつもりっす。

 

****

山奥で監禁されてる間、実はヒマな時間がちょこちょこあったので、とあることを考えてました。

 

 

それが、「学校にはなんのために通うのか」ってことです。

マジメでしょ?笑

 

 

ちなみに今回話す”学校”ってのは、主に「義務教育及び高校」のことです。

 

 

 

なんでそんなこと考えたんか

なんでぼくが「学校ってなんじゃいな?」なんて考えるようになったのかを少し。

 

 

最近ぼくは、ブログを書き始めたり、クラウドワークスやランサーズを少しずつやり始めてるわけなんですが、そこでふと思ったのが、「高校までで学んできたことって、人生において、ほんまに何にも役立ってなくね?」ってことです。

 

 

文章を書くのに必要最低限の日本語力なんて、義務教育に頼らなくても日常生活で満足できるし、その”必要最低限”以上の部分である、いろんな語彙や言い回しは学校のお勉強なんかより本を読む方が圧倒的に効率的で、たくさん吸収できます。

 

 

文章云々に限らずとも、高校までの学校教育で学んだことが役に立つであろう状況が、ぼくの頭では全くイメージできなかったんですよね。

 

 

そこで、

「じゃぁおれが12年間を費やした学校生活は完全に無駄やったんか???」

なんて思ったりしちゃったわけです。

 

 

そんなことはないはずや!!と思い直したかったのか、単に疑問が浮かんで時間があったから考えただけなのかは自分でもはっきりしませんが、気づけば深みにハマってたけいがいたわけなのであります。

 

 

そして、ぼくのシンキングタイムに新たな”刺激”をもたらしたとある本の存在も手伝って、ぼくは1つの結論(?)にたどり着きました。

とりあえず結論を。

 

 

なんとなくの結論

「学校ってなんじゃいな?」の、明確な答えではないですが、ぼくが出した結論は、

学校に通わない人生も送ってみたかった!!!

です。

 

 

「何やソレ」

って思われるかもですが、「学校なんかいかんでええわ!!」とは言い切れない部分があってのこの言い方なのです。笑

ぼくもずっと学校に通ってきた人間なので。

 

 

現在進行形で学校に通ってる人、高校卒業したけどそれまでの学校生活に価値を見いだせない人、たまたま読んでる人、様々やと思いますが、考えるきっかけにでもなればと思います:)

f:id:kei-T:20160905185939j:plain

学校で手に入れられる唯一のモノ

まず、学校に行くことで享受できるメリットを考えてみます。

 

 

ぼくが考えた末、「学校に通うことでしか手に入らず、今の社会においてまだ役に立つ可能性があるモノ」はたった1つしかありませんでした。

 

 

それが、”卒業証書”です。

 

 

最近では少しずつ変わりつつあるとはいえ、就職活動において、まだ卒業証書はある程度の判断基準として価値をもってます。

なので、企業に就職しようという人にとっては、学校(この場合は大学になりますが)の卒業証書は、手に入れられるなら手に入れておくべきモノと言えるでしょう。

 

 

卒業証書があれば、秀でたものがない人、やりたいことが何もない人、やりたいことはあるけど何をやっても勝てない人でも、少なくとも貧困によって惨めな思いをする可能性は大きく減ります。

企業に就職すれば(潰れない限り、)仕事はつまらないし、拘束されまくるし、辛いこともあるかもしれませんが、給料はあるからね。

 

 

門!!題!!

ただ、ここで問題になるのは、その卒業証書を手に入れるのに必要なコストです。

ただでくれるんなら当然もらっとけばいいですが、残念ながらただではくれません。

 

 

就職に卒業証書を利用しようと考える人にとって”価値のある証書”は、往々にして、おもたーい代償と引き換えに手に入れることになります。

それはそれは大きな代償です。

 

 

10年以上(小中高)の時間と、お金。

費やしてでも手に入れるべきものかな…

ってのは考えなきゃいけません。

 

 

得られるモノと代償があまりに釣り合っていないと思うのは、ぼくだけはないでしょう。

 

 

さらに、学校に通うことのデメリットは、10年の時間と多大なお金という代償だけではありません。

学校で過ごす10年ってのは、人間にとってものすごい大切な10年です。

 

 

学校教育による弊害!!…の前に。

まず前提として先に言っておきたいのが、「学校で学ぶことは、社会に出て役立つこととは別」ってことです。

だって、世界中にはまともに学校に行ってすらないのに社会的に大きく評価される人ってたくさんいるわけですからね。

 

 

ここでは1人だけ例を挙げますが、世界一のプロゲーマーである、梅原大吾さん。

彼は、小学校の頃から学校が死ぬほどつまらなくて、授業は全く聞かずにいつも寝ていたそうです。もちろん成績表はほとんど1。

”学校”という場ではクソほどの評価しかされてないわけですな。(梅原さんごめんなさい)

 

 

今では梅原さんは、世界のゲーマーから”神”として崇められる存在(大げさじゃないです)であるだけでなく、ビジネスの世界の人から講演を依頼されることも多いそうです。

本も出されてて、よく売れてます。笑

ちなみにここで梅原さんを出したのには理由がありますが、もうちょい後で述べますね。

 

 

そもそも学校での評価と社会での評価はまったく違うということは弊害というよりは、根本的に学校の存在意義に疑問を呈しているものやと思ってください。

 

 

10代の大切な時期を学校で過ごすことによる弊害 〈競争のものさし〉

で、弊害ですが、これは少し前にも記事したことで、「競争のものさしが1つしかない」ことです。

なんとなく分かると思いますが、”競争のものさし”ってのは、競争する土俵のこと。

どの世界で競争して、どういう基準で競争するのかってことですね。

 

 

じゃ、学校での”競争”といえばなんでしょー??

 

 

そう、”学力”ですね:)

 

 

学校では、お勉強ができる人は評価され、お勉強ができない人、やろうとしない人はまったく評価されません。

物心ついて間もない小学校からずっとそういう環境で生きてきているので、そこにあまり疑問が湧くこともない。

 

 

また、疑問を持っても、「学校なんて無駄や!!抜け出そう!!」と思う人はまぁいないです。

それは、小さい頃から学校や親に、「いい大学に行って企業に就職するのが幸せ。だからそれを目指せ。」って教えられるからですね。

 

 

そういう生き方をせずに、他の道でプロになるくらいの人は、早くから抜きん出た才能を認められて、学校を飛び出してその道を極めることができます。

が、そんなのは一握り。

 

 

そんな天才でなくとも、学校から飛び出したら勉強の他に競争のものさしがいくらでもあるんです。

スポーツで生きる、料理で生きる、歌で生きる、絵で生きる、美容で生きる、お笑いで生きる、物作りで生きる、ブログで生きる…

 

 

なんでもあります。

 

 

でも、学校ではそんなことは教えません。

お勉強して、企業に就職することしか教えません。

 

 

さらに悪いことに、学校で過ごすのは最も吸収力のある10代です。

そこまでずっと学校で教えられたとおりに生きてきたわけだから、なかなか卒業してから他に”競争のものさし”があることには気づきません。

気づいたとしても実際に抜け出せる人はこれまた一握りです。

 

 

ぼくもそんなので悩んでる1人です。笑

 

 

 

なんで学校は就職させようとするのか。

ここまで長々と書いてますが、そろそろ終盤です。笑

 

 

そもそも学校はなんで進学と就職のための教育をするんでしょうか??

 

 

 

 

 

 

 

 

とっても簡単です。

さぁ考えて…

 

 

 

 

 

 

答えは、「親がそれを求めるから」です。

 

 

keit.hatenablog.com

 

↑この記事でも書きましたが、学校がもっといろんな種類の競争機会を設けて、学生が好きな分野に挑戦できるようにすれば、いろんな競争のものさしがあることを認識でき、自分はここで戦いたいと思える分野を見つけることができるでしょう。

 

 

その方が、選択肢を与えずに就職という道しか提示しない学校より圧倒的に楽しいし、学生のためになる。

 

 

なのにそうならないのは、親の要求があるからです。

 

 

多くの親は、自分の子どもには危なくない(と思われる)生き方をしてほしいと思うものなんでしょう。

だから学校には、偏りなくまんべんないお勉強をさせろと言い、子どもには就職して普通(と言われてる)の生き方をさせたいんです。

 

 

子どもが自分で選んだ”好きなこと”に特化してその道を突き進むよりも、まんべんなく勉強したら何かその中から見つかるかもしれない。もし何1つ特別にできることはなくても、平凡に生きてくれればそれでいい。

学校はそれを手伝ってくれ。

こんな感じですかね。

 

 

 

でもたぶん、これは違っていて、まんべんなくお勉強しても何一つ特別に身につけられるものは見つかりません。

しばらくの間、選んだその1つだけに集中して取り組まないと、なんとなくのお勉強で終わってしまいます。

 

 

まんべんなくお勉強することで選択肢が広がると思っているのかもしれませんが、残念ながらそうなっていないのが現状です。

何1つ自分で選んだものがないから、学校に提示された唯一の選択肢を取るしか無くなっています。

 

 

学校では「全教科そこそこできる人」が評価されます。

でも生きる上で、何か1つ、勝てなくてもいいから、「これで戦いたい!!」ってのがないと、結局何にも勝てないし、そもそもつまらないと思うんです。

 

****

 

最後に…

ドーッと書いてきて、最後にもう一度結論を。

 

 

やっぱり学校では何も学んでないな。

 

 

改めてそう思いました。

 

 

でももう過去に戻ることはできないわけで。

だからこそこれからは、楽しく生きようと意識するべきですね:)

ハイ、いいことゆーた。

 

 

ちなみに、途中で梅原大吾さんを例に出したのは、ぼくがこんなことを考えてる時のお手伝いをしてくれたのがこの本↓だからです。

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

 

 

刺激てんこ盛りの本です。

「教育」について考えたい人や、「人生」について考えたい人は、ぜひどうぞ。

ぼくがなかなか言語化できてなかった部分を、バンバンわかりやすい言葉にしてくれてるので、読んでてすげー気持ちよかったです。笑

 

 

 

おしまい。