「花は美しいというと『美しくない花もある』という人が出てくる。」
Twitterで有名な、"Copy writing"のツイートをちょっとさかのぼって見てたら、こんな投稿がありました。
ちょーいいことばやと思って。
花は美しいというと「美しくない花もある」という人が出てくる。そのクレームを想定し「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。それはもはや言う必要のない文となる。全ての人が納得する文では表現にならない。勇気が必要なんだ by 鈴木光司
— Copy writing (@Copy__writing) 2016年8月5日
ものを書く人間なら絶対に意識しとかないといけない、すげー大事なことやと思います。
いや、もの書きに限らず、何らかの形で発信や表現をする人は、みんな意識すべき重要なことです。
突然ですが、皆さんは意見を求められたとき、もしくは、べつに誰かに求められたわけではないにせよ何かしら発信するとき、ちゃんと”主張”してますか??
自分の考えを伝えてますか??
「おれは/あたしはこう思うゾ」
って言えてますか??
実は言えてない人ってけっこー多いなと思って。意識して見てると。
ぼくも意識してないうちはそうだったんじゃないかと思います。
ブログを書き始めてから意識するようになりましたが。
Cさんいませんか??
1つ例を挙げよーか。
就職先として、「大企業」と「ベンチャー企業」のどっちがいーかっていう議論をしてるところを思い浮かべてください:)
Aさんは言いました。
「私は、安定した給料とか、ネームバリューが欲しいから大企業に就職するのがいいと思う!」
それに対してBさんは、
「いやいや、それよりもベンチャーってゆう少人数の場で、どんどん自分を発揮して働けるほうがいい!!」
と。
大学生の間でありそうな会話。
お互い、自分なりの理由があって、各々主張し合ってます。
するとCさんがグイっとやってきてこう言いました。
「大企業が合う人もいるし、ベンチャーが合う人もいるんだよね〜。一概にはどっちがいいかなんて言えないよね〜」
こういう人、意識して見るとけっこーいるんす。
つまらんし、恥ずかしい人。
今の例は、冒頭で紹介した鈴木光司さんのことばを、卑近な例で言い換えただけです。
Cさんの意見は、「もはや言う必要のない」ことばです。
だって、AさんもBさんも、「人それぞれに合う、合わないがある。それは企業も同じなんだ。」ってことくらいわかってますからね。
(わかってないとしたらそっちの方が問題だゾ。)
お前はどーおもてんねん!!!
ってのが大事なんです。
前提はわかった上で議論してるものに対して、まるで「わしは客観的にものを見とるんや」って感じで喋ったり、ネットに書き込んだりするのは、完全に無駄。恥ずかしい。
いろんな人のブログを読むようになりましたが、いるんですよね。そゆひと。
「お前はどー思ってんのよ???」
って言いたくなるひと。
反発されないために。
こういう人は、怖れてるんやと思います。
どっちかに偏った主張をすることによって、誰かから反論されることを。
世の中は、Aだと思ってる人がいれば、必ず反対意見のBだと思ってる人がいます。
もうこれは当たり前。
AというとBに反論され、BというとAに反論されることがわかってる。
だから、そもそも反対意見が存在しない”どっちとも言えない”という意見しか出せない。
というか、”どっちとも言えない”なんてのは意見ですらないですね笑
「勇気が必要なんだ」
”勇気”ってのは、主張した時の「必ず来る反論への覚悟」です。
反論が来ないように、「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。
もちろんそう書けば、「全ての人が納得」します。笑
でも、それでは何も言ったことにはなってません。
ただ声という雑音を奏でてるだけです。
反発が来る覚悟で、自分の意見を主張するのが大切なんです。
”表現”とか”発信”をしようと思うなら、反論や反発が来るのは当たり前だって理解することから始めなあかんわけですな:)
”表現”するなら反発は避けられないゾ。
おしまい。